彩葉のほほん日記

彩葉は、のほほんと過ごしています。

俺たちの信長はこれからだ!


信長 新しい「目」で、新しい「心」で、政令市新潟



こんにちは。
歴史家とっきぃです。

安土桃山時代から江戸時代初期に活躍した武将で、藤堂高虎という人物がいます。最近は大河ドラマの脇役でもちょくちょく出ています。
司馬遼太郎歴史小説では、主君を7回も取り替えたとして、評価はかなり低いです。昭和期の歴史学者もその後を追っていました。

風向きが変わってきたのは最近です。
三重大学教育学部藤田達生教授と津市教育委員会が筆頭となって、地元の殿様でもあった高虎を評価しています。藤田先生は本能寺の変の研究や、追放後の足利義昭政権を「鞆幕府」と位置づける等、近世研究の最前線を行っておられます。そして講談社現代新書の、
『江戸時代の設計者:異能の武将・藤堂高虎』は高虎研究の金字塔です。

また、大河ドラマ原作者の故火坂雅志氏の『虎の城』、直木賞作家、安部龍太郎氏の『下天を謀る』でも、高虎を一途な武将として描いています。前者では、大和大納言秀長と、後者では徳川家康との交流がメインの流れを占め\xA4
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高虎とはいかなる人物だったのか?
いろんな見方があると思いますが、実際に高虎が後世に残した「作品」を虚心に見つめるのもいいかもしれません。
美術であれ、建築であれ、「作品」はウソがつけません。必ず人間性を量られます。
高虎が築城した城は全国各地に点在していますから、ロケも楽しみですね。栃木県から静岡県、愛知県、京都府大阪府滋賀県愛媛県、もちろん江戸城の東京都とか、まだまだありそうですね。

人口に膾炙しているように、藤堂高虎は築城に関しては加藤清正と二分するほどの、名建築家です。
清正の「扇の勾配」とは対照的に、高虎の「高石垣」と呼ばれています。「扇の勾配」は人気ナンバーワンの熊本城や岐阜県岩村城が有名です。「高石垣」は最高傑作である伊賀上野城の石垣、そして圧巻の徳川大阪城です。

高虎の「高石垣」は、この男の真っ直ぐな性分をそのまま石で表現したようなそんな積み方です。

事実、藤堂高虎は、真っ直ぐな男でした。
主君を変えたのは、主君が高虎の実力を正当
に評価しなかったからでしょう。
磯野丹波守、阿閉淡路守、織田信澄(信長の甥)、いずれも身分の低い高虎をその身分で評価したのだろうと推測できます。

その後何度目かの正直で、羽柴小一郎と邂逅(かいこう/大事な出会い)を果たすのですが、その時のやり取りを故火坂雅志氏の『虎の城』を参考に表現してみました。貨幣単位は現代に置き換えます(火坂先生の急逝を悼みます)。

高虎は、羽柴小一郎と名乗る冴えない農夫顔の男が、いくらで自分を派遣雇用してくれるのか、やきもきしていた。
高虎は思う。
織田(信澄)は時給1000円交通費なしだった。
よし、時給1200円の交通費支給あり、これをギリとしよう。それ以下なら断ろう・・・。
(何となく零細派遣会社のコーディにみえる)小一郎は右手の指3本を上げて高虎に示した。
「これでどうだ」
高虎は考える。〈時給1300円か、うーん、思案のしどころだな。交通費ナシなら意味ないしなぁ・・・〉。
「不足か? 手取り30万で、社宅有り、交通費支給、各種保険完備、昼\xBF
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小一郎は勝手に悩んでいる。
「はあーっ?」
高虎は頭がおかしくなってきた。ここまで自分のことを大事にしてくれた人はいなかったからだ。それも単発バイトや契約社員でもなく、正社員だったから。どころか、羽柴産業独特のシステムで、昼食も支給されるらしい。
社長の羽柴藤吉郎は「大飯、早食らい、憂いこと無用」を
企業理念としているとのことだった。
迷いはもうない。
「お願いします!」
小一郎に内意を伝え、雇用契約書も交わした。
「申し遅れました、私、織田コーポレーショングループの羽柴産業副社長で、羽柴小一郎と申します」
名刺を遅ればせながらに取り出す小一郎。
羽柴産業は織田コーポレーション社長織田上総介のおぼえめでたく驀進中。人材が必要とのことだった。
何度も派遣切りやパワハラで悔しい思いをしてきた高虎の想いや如何に・・・。

こんなところでしょうか。
小一郎秀長は高虎の評判を聞き、徒歩でわざわざ藤堂村まで出向いてきたのでした。

こんな上司がいたら大感激するのは、高虎だけではないですよね。
槍一筋!、仕事に誠実なこの高虎に光るものを感じた小一郎でした。
おそらく、史実でも似たようなものだったと思います。
ちなみに、アイドル、KinKi Kidsの堂本光一氏も仕事に一途だと、仄聞ですが伺ったことがあります。

高虎は、羽柴小一郎秀長のもとで、事務処理からコミュニケーション能力、戦のない世の中という企業目的まで多くのことを学ぶことになります。
『虎の城』では、城大工たちの信頼を得るために技術向上に明け暮れる描写もあります。そうやって、じょじょに理系テクノクラートとしての能力を身に着けていきます。

やがて羽柴小一郎は大和大納言秀長として、豊臣家の重鎮になります。

高虎も大和豊臣家の家老として2万石の封を得ます。
秀長は、大名連合による連邦国家のようなものを構想していました。そのへんで似た国家観をもつ徳川家康と秀長はウマがあっていたかもしれません。
一方、兄の豊臣秀吉は、中央集権化をガンガン進めます。
中心になった
のは、もちろん本作の敵役、石田治部少輔三成です。

大納言秀長はやがて病死して、いろいろあって高虎は秀吉の直臣になります。その後、家康と仲良くなり、譜代大名並の信頼を得ます。

以降の高虎については、安部龍太郎氏の『下天を謀る』が真骨頂です。
本作品には、金融ベンチャーとしての大阪方がでてきます。
淀殿は、大名に金子や船を貸し付ける女性アントレ・プレヌールという位置づけでした。瀬戸内を大動脈として流通を主体に基盤づくりをするのは、西の政権の十八番です。
詳細は拙ブログのどっかに「西の都の物語」がありますから、ご参考までに。
西の都の物語1
西の都の物語2
西の都の物語2


やがて大坂の陣が勃発、高虎たち東軍は豊臣家を滅ぼします。
大坂城が滅んだら、次のハードルは朝廷です。天下静謐のためには、後鳥羽院後醍醐天皇みたいなやんちゃは困るのです。徳川は女御入内という選択肢を採ります。
そして、和子入内という大役が、幕臣、藤堂和泉守としての高虎の晴れ舞台を飾ります。天下泰平のために身も心\xA4
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他方『虎の城』では、大坂夏の陣の後、大納言秀長の墓に参じる高虎の姿を描いています。
「すべて、終わりましてございます」
高虎は墓前の秀長に語りかけます。それに応える秀長の言葉があるのですが、それは割愛します。実際に読んで涙してください。

涙といえば、高虎の正妻、お久(おひさ)が亡くなった時の高虎の号泣が印象的です。同じく『虎の城』です。
「さびしかったろう・・・に、つらかったろうに・・・、すまぬ・・・、すまぬ、赦せ、うあ〜っ」
と憚りなく、妻のために泣く高虎の姿、ぜひとも映像でみたいですね。お人形様のように、じっとしていることで高虎を支えたのが奥さんの久姫でした。女性はただ存在しているだけでいい、(カルト系高額セミナー路線に走る前の)子宮委員長はるちゃんの教えです。久姫は21世紀のAGEMANの規範といってもいいのではないか、とっきぃは拝察します。

そんなわけで、大河ドラマとして絶好の逸材だと思います。
前半の成長時代での陰の主役は大納言秀長、
後半は幕
藩体制と平和の構築者、表裏ともに主役は藤堂和泉守。和泉守高虎の活躍を家康が見守るなんて、かなりアツいドラマになると思います。
原作は火坂氏、安部氏の両作とも一長一短ですが、この2作品を参考にして三重大の藤田教授がまとまるとか、いかがでしょう。期待してしまいますね。







信長の見方



前田又左衛門利家也。


名古屋城へ登城せし皆々、大儀ぞ。

大詰の戦〔フィナーレ〕へと参陣致した我等、名古屋おもてなし武将隊


姫君の御方々、忍の者等、武人の我等と、賑かなる戦場。
尾張名古屋に住まう者も多く参り、我思う。
遠くより参りし者も勿論の事感謝は尽きぬが、尾張名古屋の民と交流を図れる機会は我が宝で在ると。
御屋形様〔信長様〕も仰有られたが、我等が時代に生きた者達よ。
我等の戦いは間違うて無かったぞ。
此の安寧の
世に人集い、明日を迎える事に蟠り無く皆と祭りを愉しめる。
戦無き世の光景を其方を通して我等は目に致した。
此の景色を見せてくれし皆々に今、改めて礼を申す。
有り難し。


さぁ、明日よりも戦の日々よ。
現世では、皆の心の安寧を我等が勝ち取って参るでのぅ。


名古屋と、いま時を共に致す皆々と、否、生きとし生きる全ての皆々の明るい未来に向かいて、勝鬨じゃ。
鋭、鋭、応。〔えい、えい、おう。〕


名古屋おもてなし武将隊 一番槍前田又左衛門利家